
どこにでもいるアナログにんげんの専業主婦です。
バーチャルYouTuberのキズナアイちゃんに衝撃をうけ、自分もバーチャルアバター化することにしました。
ツッピーの現在
神戸生まれのアラフォー子育て母です。
イラスト制作やLive2Dモデリング、LINEスタンプを制作しています。
2歳.5歳.8歳の子どもがいます。

小学生時代
自分の小学生時代を振り返るとずっと好きなことをやっているこどもでした。
特にお絵描きが大好きで、チラシのうらに大量に女の子の絵を描いていました。
ドレスや着物をみるのも大好き。
ディズニープリンセスを夢見る女の子でした。
愛読書は「なかよし」
妹2人はそれぞれ「ちゃお」「りぼん」を買って、回し読みしていました。
好きだったマンガは、武内直子の「チェリープロジェクト」、吉住渉の「ハンサムな彼女」
かわいい女の子がでてくるマンガが大好きでした。
一方、学校では大人しくて授業中に先生であてられただけで、泣いてしまうくらい話すことが苦手でした。
また恋愛感情にめちゃくちゃうとい女子でした。
6年生になったころ、仲の良い女子と集まって、「好きな男子の教えあいっこしよ~」という話題になり、
好きな子がまったくいなかったので、テキトーな正統派男子を言って、女子トークについていこうとがんばったり。
恋愛感情がまったくわからない女児でした。
BLに目覚めた中学時代
中学生になると、幽遊白書の飛影と蔵馬のカップリングで妄想しはじめます。
腐女子の芽が少しずつではじめます。
小林深雪のティーンズ小説に激ハマり、深雪ワールドにどっぷりハマっていました。
文章を書くのが好きになり、自分も小林深雪調の小説を書くようになりました。
「ドキン」とか「キュン」とかそんな小説ですww
中学一年生にもなってもリアルな初恋もしたことなかったのですが、なぜか恋愛小説を書いて、クラスの女子にまわしていました。
そのころの友達がマンガ好きな子が多く、いろんなマンガを貸してもらって、好きなだけマンガに浸れるようになりました。
おこづかいは全部マンガにつぎ込んでいました。
中学時代はふしぎ遊戯、ぼくの地球をまもって、CLAMPのXが好きでした。
アニメも大好きになり、エヴァンゲリオンにドはまりしてしまいます。
当時は大阪テレビでしか放送されておらず、自宅からだと電波が入らず映像が見られませんでした。
そのため放映の次の日に友人に録画してもらったVHSを借りてみていました。
しかしどうしてもリアルタイムで見たかった私はアナログテレビの砂嵐の画面をみつめて、音声だけでみていました…。
地元の同人即売会にも参加して、同人誌を集めはじめました。
当時は美術部に入っていましたが、水彩画や油絵を描いている先輩のよこで、もくもくと惣流アスカラングレーのセル画を描いていました。
マンガやアニメ大好きな中学時代でした。
高校生時代
そして県立高校に進学。
レベル的には中くらいの高校です。
エヴァンゲリオンのアスカの声優のみやむーの出身高という理由で行きます。
やっぱりレイ派よりアスカ派の生徒が多かったww
そして腐女子レベルがアップしていき、クラスの男子たちを主役にしたBL小説を制作したりしていました。
挿絵は自分で描いてましたww
妄想が止められない女子高生でした。
そのころからジャニーズファンになり、コンサートに行きまくります。
遊んでばかりでほとんど勉強していませんでした。
小説を書いているためか、国語の点数はそれなりに良かったんですが、数学は欠点ばかり。
腐女子なのに、ヤンキーたちといっしょに補講授業を受けるという事態に。
「これはやばい!」ということで数学の受験科目のない大学を受験。
大学生活 未成年で借金生活
そして地元の文芸学科のある女子大生になった私は、とくに勉強もせず、映画やBLマンガをよみまくって完全にモラトリアム生活を満喫していました。
そんな腐女子なわたしに転機が訪れました。
大学で知り合った友達の勧めで、18歳で矯正下着を購入して、超高金利なローンを組んでしまい、そこから借金地獄!
ツッピーホロ子 ツッピーホロ子の黒過去、きいてください。 とうさん ん?なになに? ツッピーホロ子 実は、お金のことでけっこうなこと、やっちゃってまして。 &nbs[…]
毎月13,000円ずつ必死に返済して、23歳で無事完済しました。
「お金がない」が口癖の大学時代でした。
とにかくお金がいるので、スナックでバイトしたり、チャイニーズキャバクラでバイトしたりもしてみました。
しかし男性とのコミュニケーション経験がほぼなかったので、苦痛すぎてやめてしまいました。
そしてお金を増やすことより、お金をなるべく使わない生活に変換。
時給730円の地元のレンタルビデオショップでバイトします。
映画好きだった私はそこでたくさんのビデオを借りて、たくさんの名作をみました。
たくさんの映画やアニメに囲まれてしあわせなバイト生活でした。
そして大学三年の時に出会ったのが、いまの夫です。
お互いホームページをつくっており、相互リンクしあったり、掲示板にかきこんだり、メル友になったり、オンライン友達になっていったのです。
大学四年生だった夫は、真面目ですでに就職も決まっているらしい。
偶然にも同じ高校の先輩であり、オタク気質でした。
付き合うことになって半年、彼の配属先は東京に決まりました。
その後、約2年以上、遠距離恋愛でした。
OL時代
その後、就職氷河期にやっと決まった中古車買い取りの中小企業でした。
仕事はまったくおもしろいと思えず、気の合う人もできず、お弁当も一人で神社で食べていました…
仕事でやりがいを感じることができず、趣味の小説書きに真剣に取り組んでいました。
カルチャーセンターに通って、60代、70代の方たちに混ざって学んでいました。
小説の内容がやばくて、不倫とか恋愛とかを真剣に書いて、自分でうっとりとしていました。
節約生活は続けており、15万の手取りのうち10万を貯金していました。
ビンボーOLでした。
その後、25歳で退職して専業主婦になりました。
社会福祉士、精神福祉士の資格をとる
専業主婦になってから、何か資格をもっておいたほうがいいと考え、通信制の大学の福祉学科に入学します。
OL時代の貯金を使って、学費を払いました。
勉強をしながら、精神障害者の就労支援所で2年ほどボランティアをしました。
2年間勉強して、実習を受けて、無事に国家資格に合格。
その後、病院に就職が決まるのですが、3日で退職しました。
理由はそこで働く上司、先輩とまったく合わない、尊敬できないと感じたからです。
その病院の医療ソーシャルワーカーは患者さんの悪口を陰で言ったり、患者さんに偉そうにしたり、
福祉ってもっと人をしあわせにするものなんじゃないの?
わたしはもっと尊敬できる人と働きたいと思いました。
その後、高齢者のデイサービスで働きました。
病気のあと、家族が欲しくなった
その後、介護施設で仕事をしていましたが、病気になり手術することになり退職しました。
はじめて病気や手術を経験して、健康の大切さを感じました。
そのときに夫があまりにやさしく、家族がほしいなと思い、29歳で妊活を始めることにしました。
赤ちゃんを産んで1か月後、夫が単身赴任に…産後うつ
30歳になって、男の子を1人授かりました。
はじめての育児はめちゃくちゃ辛く感じました。
赤ちゃんって夜中こんなに起きるの?
寝かしてもお布団に置くとすぐ起きるし、家事もできない…
それでも自分なりに必死に工夫して、時間を作って、布おむつをはかせて、手作りおやつを作ってあげて、
ベビーフードもほぼ使わず、すべて手作り離乳食。
添加物も極力さけてきました。
この子の人生はすべて自分にかかっていると思っていました。
そして1人目の育児に専念して3年後。
33歳に2人目出産。
産後1か月で、旦那の転勤が決まり単身赴任をすることになりました。
夫が東京に行ってから不安で不安でわたしは産後うつのようになりました。
0歳、3歳の子どもをワンオペ育児。
夜中もろくに寝られませんでした。
「いま火事が起こったらどうしよう。首が座ってない赤ちゃんと3歳児を抱えてにげられるの。燃えないロープを買っておかなきゃいけない」
とか
子どもが寝ているあいだに夜中にゴミ出しをしながら
「いまわたしが車で引かれでもしたら、赤ちゃんと子どもはどうなるんだろ。誰にも気が付かれず餓死してしまうんじゃないだろうか」
とか頭の中でグルグル妄想して寝られない日々が続きました。
ワンオペ生活はあまりに辛く、ホームヘルパーを申請した役所で大泣きしてしまいました。
お金や投資の勉強をはじめる
さらに夫の単身赴任の二重生活による出費増加。
夫は毎週土日には帰ってきてくれるけれど、新幹線代も1か月に12万もかかっていました。
夫の借りているアパート代や生活費を合わすと赤字・・・
様々な不安に直面して、わたしはお金の勉強や投資の勉強を始めました。
子どもを抱っこしながら本屋さんに通い、本を立ち読み厳選した本を購入して勉強する日々。
はじめは何もわからず、貯蓄型の生命保険を契約したりしました。
勉強すればするほど、投資の知識が必要だと感じてアメリカ株、日本株をはじめ、NISAにて投資信託を始めました。
夫の確定拠出型年金を見直ししたり、ジュニアNISAも開始しました。
固定費削減でスマホも楽天モバイルにし、不要な生命保険も解約。
ユニクロの服でさえもなるべく買わないようにするという超節約生活をスタートさせたのです。
夫の転職
夫と離れて過ごしているあいだも必死に勉強しました。
夫は「ぜったい帰ってくる」といって単身赴任先でがんばりながら、転職活動をはじめたのです。
毎週3時間かけて自宅に帰ってきてくれていた夫も睡眠不足と過労で身体がボロボロになってきて、単身赴任先で倒れてしまいました。
わたしはワンオペ育児のストレスから上の子に強く当たってしまうようになっていました。
そのときにこう思いました。
「家族がみんなつらい思いをしてまで、会社のいうことを聞かなければいけないなんて、なんてかなしいんだろう」
顔も見たことがない夫の上司が決めたことで、自分の大事な家族がバラバラになって、くるしんでいる。
そのときに会社に頼らずに自分で稼げるようにならなくてはいけないんだと感じました。
その後、夫は転職が決まり、神戸へ戻ってくることができました。
アナログイラストを販売
投資やお金の勉強をすると同時に自分にできることは何かと考えてイラストを描くようになりました。
0歳だった次男を寝かしてから部屋にこもって作業しました。
夜中3時まで作業して、次の日ふらふらになりながら、子どもの世話をしました。
そしてはじめて描いたイラストは220円…
アナログイラストは1枚描くのに2~3週間かかります。
子どもをほったらかして、ふらふらになりながらの作業でこの結果でした。
時には、すごく喜んでくれる方もいたのでやる気が出ましたが、イラストの価格は500円から4000円ほどで、絶望しました…。
まったくうまくいかずにアナログイラストから少しずつ遠ざかっていきました。
不動産投資のセミナーを受講
その後、会社に頼らず資産を作る方法を学ぼうとおもい、不動産投資のセミナーを受講します。
そこで出会った方たちがステキな人たちばかりで、一気に人生が変わりました。
その後、不動産投資のオンラインサロンに加入後、夫が収益性のあるアパートを購入することができました。
趣味が少しづつ仕事に…
2019年夏からデジタルイラストを描きはじめました。
アナログイラストでは修正ができないこと、制作に時間がかかるというのがストレスでイラストを楽しむことができなくなっていました。
デジタルイラストははやい!たのしい!便利!
デジタルイラストをはじめたときは仕事としてではなく、相手が喜んでくれるのがうれしくてイラストを描いていました。
そうするうちに少しづつ、イラストの依頼がくるようになりました。
好きなことでお金をもらえる経験をしたことで少しずつ自分に自信が生まれてきました。
アナログ人間でも2Dアバターを作れるようになった
そしてバーチャルYouTuberが流行っていたときにキズナアイちゃんの動画をみました。
やばい。可愛いすぎる…
そこから自分もバーチャルYouTuberになりたいと思い、独学で2Dアバターを制作しました。
アナログにんげんのため、かなり苦戦しました。
持っていたパソコンではLive2Dソフト(2Dアバターを制作するソフト)は起動せず使えなかったので、パソコン選びからスタート。
YouTubeや本で調べて、なんとか制作することができました。
もう完全にバーチャルYouTuberになれました!
どこがキズナアイやねん・・・
オンラインサロンで学ぶ
そして、もっともっと学びたいという気持ちがあり、西野亮廣エンタメ研究所などのオンラインサロンに入会することにしました。
日々の西野さんの記事はそのへんのビジネス書よりもめちゃくちゃ面白いです。
さらにたくさんのサロンメンバーたちとの出会いがあり、毎日刺激を受けます。
「毎日頑張っているのがあたりまえ」のサロンメンバーたちとつながっているので、私もがんばろうと思えます。
すばらしい環境です。
今後は・・・
バーチャルYouTuberも増えてきましたが、まだまだ浸透していないので、
サラリーマンや主婦など、顔バレしたくない人が動画発信するときに気軽に使えるようになるといいなぁと思っています。
またstandfmという音声ラジオもはじめました。
専業主婦が必死で学んで、環境を整えながら、スローペースで稼ぐ力を身につけていく様子をあげていこうと思います。
楽しいことや胸がおどることをどうやったら大切な人のお役に立てるのか考えながら、いろんなことに挑戦していこうと思います。
いつか子どもたちがいまの私と同じ年になったときに、「お母さんもがんばってたなぁ」と思い出してもらえるように、全力で生きたい。